「時代」を物語る武富孝介の浦和回帰。16年前の決断の背景――
武富(7番)と山田(18番)のコンビが復活! 他に今季新たに浦和に加入した、(左上から)荻原拓也、岩波拓也、橋岡大樹。29番は柴戸海。(C)URAWA REDS
日韓ワールドカップイヤーに日本一に輝く。
日韓ワールドカップイヤーの2002年、武富孝介は山田直輝とともに選抜チームのFC浦和の一員として、全日本少年サッカー大会で優勝を果たした。しかし中学進学時、浦和レッズではなく柏レイソルのジュニアユースに進んでいる。
当時の浦和ユース出身では、鈴木慎吾が新潟で活躍し、千島徹が昇格を果たしてカップ戦で数試合の出場機会(03年のナビスコカップで昇格組初ゴールを決める)を得ていた。まだ浦和のトップチームの主力として活躍している選手は輩出していなかった。
一方、柏ユース出身では、明神智和は日韓ワールドカップに主力として出場。酒井直樹もA代表歴がある。ユースには大谷秀和がおり、ジュニアユース出身にはカレン・ロバート(市立船橋高に進む)もいた。
さらに同じくアカデミー出身である吉田達磨(現・ヴァンフォーレ甲府監督)が2002年に現役引退すると、すぐさま柏ジュニアユースのコーチに就任。ジュニアからトップチームに続くシステムを築き、育成重視のカラーをいっそう強めた。酒井宏樹、工藤壮人、比嘉厚平ら錚々たるジュニアユース(U-15)のなかに、武富も加わった。
「直輝と一緒に浦和のジュニアユースに行きたい気持ちもありましたが、小学生だったので、どこに行くかは親や少年団の指導者の方が話し合って決めました。でも結果的にプロになることができたので、親の判断は正解だったと思っています」
武富はそのように振り返る。
プロ入り後はブラジルへの短期留学、ロアッソ熊本での武者修行時代、湘南ベルマーレでの曺貴裁監督との出会いと覚醒。さまざまな経験を積み、柏レイソルで活躍――昨季はJ1自己最多9ゴールを決めた。
そしてこのオフ、浦和からオファーが届いた。「想定外の移籍があった」(浦和・山道守彦強化本部長)とサイドを担える梅崎司や高木俊幸が流出するなか、さいたま市出身のこのアタッカーに白羽の矢が立った。
「まだ、ここから成長できると思っています。だから、ひと皮、ふた皮剥けるためにも、厳しい競争に身を置き、レッズのファンやサポーターとともに喜び合いたいと思いました」
武富はそのように決意を示す。
「実家が浦和ですし、毎年のように帰ってきていました。その地元で戦える喜びを力に変えたい。複数のポジションをこなせるのが持ち味なので、チームに還元したいです」
浦和を「ホーム」に戦うのは16年ぶりだ。チームは二度目のアジア制覇を果たし、2018年は3年連続のタイトル獲得を狙う。武富と山田のコンビプレーも注目され、邂逅する彼らの力で浦和から世界へ――新たな境地に導く。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI