上田綺世が明かす。決して一択ではなく悩んだ末の「鹿島」だった
上田綺世。(C)SAKANOWA
複数クラブから打診。最終的に決めた理由は――。
法政大学のFW上田綺世が、鹿島アントラーズに加入した。7月28日からチームに合流し、8月2日にプロ契約へ移行する。すでに大学に籍を置きながらプレーできる特別指定選手として登録しており、31日のアウェーでの浦和レッズ戦でのデビューもあり得る。
上田は大学3年に進級すタイミングの今春、2年後に卒業して鹿島入りすると一旦発表していた。それを「前倒し」しての今回の「加入=プロ契約」となった。
7月26日の記者会見では、日本代表としてコパ・アメリカ(南米選手権)に臨む出発前の段階で、永山一也監督に「この夏から鹿島を中心にプレーしたい」という思いを伝えていたことを説明。永山監督が大会期間中、それが可能であるのか調整し、前倒し加入が決定したということが説明された。
また、上田は「鹿島」行きを決めた”舞台裏”についても語ってくれた。
ジュニアユースまでプレーした古巣だから選んだ、というわけでは決してなかったという。
他クラブからの獲得の話は、「もちろんありました」と上田は明かす。
「鹿島から話をもらった瞬間、『行きます』と即答したわけではありませんでした。数多くのクラブから声を掛けていただき、もちろん椎本さん(邦一/鹿島スカウト部長)とも話をしました」
鹿島ジュニアユースからユースチームに昇格できず、鹿島学園を経て法政大に進んだ。そして法政大でブレイクを果たし、世代別日本代表入りを果たし、こうしてプロに進む道を切り開いた。
ただ、鹿島サイドはそんな経緯もあり、上田が古巣には来てくれないのではないか、と予測しているという話を耳にしたという。
「僕はそんなことは全然気にしていませんでした。むしろ、(加入の声を掛けてくれて)嬉しかったです。でも、『だから鹿島に行く』というわけではありませんでした。いろんなチームに練習参加して、そのなかで自分に合うところに行こうと、そこを基準に考えていました。どのクラブも僕のなかではフラットでした」
そこからいくつか絞り込んでいったなかに鹿島も残った。そして上田は決断を下す。
「サッカー選手としてのキャリアをどのように積んでいくかを考えた時、どこのクラブを選んでも、最終的に行き着くのは、海外か国内であれば鹿島になると思いました。ならば一発目から一番高いレベルに飛び込んでみよう、と。そこで活躍できれば海外や日本代表があり、ダメだったら終わり。それでいいと思い、僕は鹿島に決めました」
おそらく、そのようにあらゆる思考を巡らせつつ、最終的には感覚を大事にするところもまた、鹿島には合っているように感じる。
決して一択ではなかったプロへの進む道。しかし辿り着いたのは、鹿島への道だった。
そして「鹿島アントラーズの上田綺世」として、いよいよ新たなキャリアの一歩を踏み出す。
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[取材・文:塚越始]
text by Hajime TSUKAKOSHI