鹿島で強化担当30年、鈴木満氏が「一番労力が必要で心が苦しかった」瞬間とは?
FD退任が決まり取材に応じた鹿島の鈴木満氏。協力:鹿島アントラーズ
「長いようで、あっという間。毎日が戦いの日々で非常に刺激のある仕事だった」
今季限りでフットボールダイレクター(FD)を退任すると発表したJ1リーグ鹿島アントラーズの鈴木満氏が12月27日、オンラインで記者会見に応じた。30年間にわたりJリーグを代表する強化の第一人者としてけん引し、最も多くのタイトルをもたらしてきた鈴木氏が、現在の率直な心境を語った。今後、クラブの強化アドバイザーとして鹿島の“後方支援”をする予定だ。
鈴木氏は今回の決断の経緯について語る。
「(責任企業が)メルカリに移行して3シーズン目、この3年を何となく一つの区切りにという思いがありました。今季が最後になるのではないかという思いも持ちシーズンをスタートさせました。
しかし戦いなので、シーズンが始まれば、優勝したい、という思いでやってきました。そしてザーゴ監督を解任せざるを得ないような状況になり、引き継いだ相馬監督が頑張ってくれて持ち直してくれました。それでも川崎フロンターレと20点以上の差がつきタイトルを取れませんでした。昨シーズンもフロンターレと20点以上。この2年間の成績不振の責任は感じていました。
ジーコも今シーズンでテクニカルディレクターを退くということで、その通達もしました。そして来季以降、いろいろな改革をしなければいけないなか、10月27日、フロンターレに天皇杯で負けて無冠に決まったその日、終わりにしようと自分の中でケジメをつけて、リーグ最終戦前に(社長の)小泉(文明)さんにその意向を伝え、シーズン終了後にその承認をいただきました」
何より5年間の国内無冠に責任を感じるという。
「18年にACLを獲ったあと、タイトルを獲れていません。国内タイトルは5年間取れていない。成績は強化責任者として一番大事なところで、一つの区切りしなければいけないと。クラブ内の話し合いと議論を重ね、残していかなければいけないところと、変えなければいけないところを精査するなか、変えなければいけないところでは、自分が変わるのが一番変わりやすいのではないかと。今が一番区切りがいいと判断しました」
そして強化に携わり30年間、この期間について「長いようで、あっという間でした」と振り返る。
「この仕事は1週間に1回または2回、すぐ結果が出ますし、毎日が戦いの日々で非常に刺激のある仕事でした。毎日必死に戦ってクリアしていく、現場とはそういう仕事だったので、あっという間だった感じです」
自身が大切にしてきたことは、「チームの結束力、一体感、あとは勝つことへのこだわり。その二つをコンセプトにやってきました」。そのうえで、鈴木氏が最も重視してきたスタンスが、選手を大切にすること、だったという。
「帰属意識を植え付けなければいけないと思い、そのためには、まず選手を大切にしなければいけないと思ってきました。(前日のOB戦では数多くのOBが集い)そういう思いが選手に伝わっていてくれたのかなと。苦心はしてきましたが、僕も最後ロッカールームに顔を出して、そこでみんな声を掛けてくれました。少しは報われたのかなと感じることができました」
「新卒を育てる」それが鹿島の基本スタンスだった。そのうえで勝つために必要な戦力を、外国籍選手、他チームから補強。ただ、選手の入れ替わりのサイクルも早くなり、一筋縄ではいかなくなった。現場の意識も時代とともに変化してきたと痛感する。
最も記憶に残っている試合を問われると、「2017年12月2日の試合です」と即答。最終節にジュビロ磐田と引き分け、勝利を収めた川崎フロンターレに、最後にひっくり返された試合を挙げた。
そして、今回自分が退く決断を下すのと、選手に対し退く通達(引退、契約満了など)をするのと、どちらが難しかったかという問いに、次のように語った。
「強化責任者となってからの26シーズン、引退、移籍、ここを去る選手への通達は、全部、私がしてきました。そういう通達をすることが、一番労力がいて、心が苦しかったです。そこでいつも『自分が辞めるほうが楽だな』と思っていました。今回、ジーコ、相馬監督に通達をしましたが、自分が辞めると決めなければ、より心が痛くて重くできなかったかもしれません。だから、自分が辞めるほうが簡単でした」
後任にはフットボールグループプロチームマネージャーの吉岡宗重氏が就任する。吉岡が大分トリニータの強化を担当していた時代、担当者会議でその所作や人への接し方や対応なども見ていて、「彼しかいない」と感じたそうだ。大分からスカウトする際、クラブから「1年待ってほしい」と言われ、実際、その準備期間を経て実現。それから10年、鹿島の“帝王学”を伝授してきたということだ。
また、この3年間、コロナ禍でもあり、オンラインやデジタルを活用する機会も増えた。レネ・ヴァイラー新監督ともオンラインによる面談を経て、決断に至った。効率的に仕事をする、それを最後に経験できたこともプラスに捉える。
「ずっと鹿島のこのあたり(クラブハウスと練習場、スタジアム)にいて、趣味もないんですよ」
これまで遠征で47都道府県全てを訪問している。だから今度はそこへ観光をするのも面白いかもしれないと考えているそうだ。
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[文:サカノワ編集グループ]