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日本代表DF冨安健洋の“恩師”ミハイロビッチ監督が解任に。白血病から復活し3年半指揮、ボローニャ開幕から5試合勝利なし

冨安健洋。写真:早草紀子/(C)Noriko HAYAKUSA

クラブ会長「何より人としての関係を強固なもにしてくれました」。リーグ3分2敗の16位と躓く。

 イタリア・セリエAのボローニャFCは9月6日、セルビア(旧ユーゴスラビア)出身のシニシャ・ミハイロヴィチ監督(Sinisa Mihajlovic)の解任を発表した。今季開幕から3分2敗と5試合勝ち星がなく、16位と躓いていた。2019年から3年半率いて、その間、急性白血病であることを公表。今年も一時入院していた。

 ボローニャのジョーイ・サプト会長は「これまでで最も苦しい決断でした」と明かし、「この数年間、私たちはシニシャと美しくも辛い瞬間を過ごし、プロフェッショナルな関係だけでなく、何よりも人としての関係を強固なものにしてきました」と振り返る。

 また病名を告白した日から、「勇気と決意を持って病気と向き合ってきました。ミハイロビッチ監督は、常に自分の仕事だけを評価されることを望んできました。ただクラブと街全体がこの困難な個人的体験のなかで、監督に魅せられ集まってきたのです」と、その人間的な魅力について触れている。

 今回は苦渋の決断だったが、「たとえシニシャ・ミハイロビッチがボローニャの監督でなくなったとしても、このクラブとそれを構成する全ての人々は、彼が完全に回復するまで、そして彼のキャリアを継続するにあたって、常に彼の側にいることでしょう」と強調している。

 日本代表DF冨安健洋は、アーセナルFCに移籍するまでの2年間、ミハイロビッチ監督のもと、ボローニャでプレー。現役時代はボランチ、左サイドバック、センターバックとプレーし、セットプレーキッカーも担ったレフティである。時代は異なるが、守備のスペシャリストとして共通項もあり、冨安もその駆け引きの妙について学んできたと言う。この恩師の存在があったからこそ、プレーにだけ集中できていた。それが結果的に、メガクラブ行きにつながった。

 後任については、間もなく発表される予定だ。

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