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【W杯日本代表 背番号列伝『10番』】名波浩、中村俊輔、香川真司…もう一人は!? 南野拓実が“5代目”か

ジーコから「10番」を託された中村俊輔。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

ラモス瑠偉から続いた「司令塔」の系譜。最近は現代的アタッカーが継承。

 カタール・ワールドカップ(W杯)に臨む日本代表メンバーの発表日――11月1日まで、あと10日に迫った。

 大会本番まで、数々の記憶を刻んできたW杯での日本代表戦士たちの背番号を振り返っていきたい。

 まずはエースナンバー「10番」。

 93年の「ドーハの悲劇」まで、アメリカ大会のアジア予選ではラモス瑠偉が背負い続けた。ラモスによって、まず「司令塔タイプ=日本の10番」というイメージを浸透させた。

 W杯初出場の98年フランス大会は名波浩。ラモスからその番号を継承し、97年11月16日のアジア地区第3代表決定戦・イラン戦でも120分フル出場し、3-2の勝利に導き「ジョホールバルの歓喜」をもたらした。そのまま本大会でも10番をつけてレフティは戦い、アルゼンチン戦はフル出場、そのあと2試合も先発し途中交代している。

 2002年の日韓大会は、中山雅史に。名波の右ヒザ半月板損傷による離脱、中村俊輔の落選もあり、空いた形の「10番」を、ムードメーカーが背負うことに。中山はロシア戦のみ途中出場し、日本に初勝利をもたらす。チームもベスト16進出を成し遂げた。

 2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会は、いずれも中村俊輔がつけた。ジーコ監督は就任とともに中村にその番号を託し、全幅の信頼を寄せた。

 南ア大会では直前のケガの影響もあり、本番では控えに回ることに。本田圭佑がそこで台頭していき、中村は練習の段階からチームの“底上げ”も惜しまず。結果、日本は予選を経て出場したW杯で初めてベスト16進出を果たした。

 2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会は、香川真司がつけた。欧州で最も勢いに乗っていた2014年はあまりインパクトを残せなかったが、ロシア大会ではグループステージ初戦のコロンビア代表戦で先制PKを決めて、チームに勢いをもたらし、8年ぶりの16強進出に貢献した。

 森保一監督のもとでは、大島僚太、乾貴士、中島翔哉と近代的な司令塔&アタッカータイプも指名されてきた。そうしたなか、香川の後継者として、次第に南野拓実が「10番」を背負うことに。セレッソ大阪の先輩・後輩にもあたるリレーに。

 2022年のカタール大会。順当に行けば、南野がW杯“5代目・10番”を背負うことになる。

【W杯日本代表 背番号「10」の歴史】
1998年 
フランス大会  名波浩/MF
2002年 
日韓大会    中山雅史/FW
2006年 
ドイツ大会   中村俊輔/MF
2010年 
南アフリカ大会 中村俊輔/MF
2014年 
ブラジル大会  香川真司/MF
2018年 
ロシア大会     香川真司/MF
2022年 
カタール大会    ???

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