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【浦和】ユース監督の平川忠亮氏がFC琉球のトップチーム監督に就任決定「浦和を愛した気持ち同様にFC琉球OKINAWAのために全身全霊をかけて取り組んでいきます」

引退試合を行った際の浦和の平川忠亮氏。写真:上岸卓史/(C)Takashi UEGISHI

現役を含めレッズ一筋23年間闘う。「J2昇格を目指し、攻撃的でアグレッシブなサッカーをお見せします」

 J3リーグのFC琉球は11月24日、浦和レッズユース監督の平川忠亮氏(Tadaaki HIRAKAWA)が2024シーズンをもって退任し、2025シーズンからJ3リーグのFC琉球OKINAWAのトップチーム監督に就任すると発表した。

 平川氏は1979年5月1日生まれの45歳、静岡県出身。引退後は指導者として、浦和ユースコーチ、浦和トップチームコーチ、浦和ユース監督を歴任してきた。

 平川氏は浦和サポーターへ次のように感謝を伝えている。

「このたび、2025シーズンよりFC琉球OKINAWAで監督を務めさせていただくことになりました。浦和レッズに在籍した23年間、本当にお世話になりました。

 チームはもちろん、ファン・サポーターの皆さま、パートナー企業の皆さま、ホームタウン・行政の皆さま、後援会・スチュワードの皆さま、現役時代のチームメート、監督・コーチングスタッフ・メディカルスタッフ、栄養士さん、食事を用意してくださるスタッフの皆さま、マネージャー、大原・レッズランド・埼スタのグランドキーパーの皆さま、洗濯・清掃スタッフの皆さま、メディアの皆さま、クラブの事業部門の皆さま、レディースの選手・スタッフの皆さま、そしてアカデミースタッフ、アカデミー選手と保護者の皆さま、本当に多くの方々のサポートがあり、選手として17年間、指導者として6年間過ごすことができました。

 23年間、共に過ごした全ての皆さまに心から感謝いたします。ありがとうございました。

 浦和レッズで過ごした日々は決して忘れることはありません。2003年、国立競技場で初めてタイトルを獲得したヤマザキナビスコカップをはじめ、Jリーグ、天皇杯、ACLの数々のタイトル。そして2011年の残留争い。良いときも悪いときも一緒に闘ってくれた浦和ファミリーの皆さま、素晴らしい時間をありがとうございました。

 指導者としてもトップチームでオズワルド・オリベイラ監督、大槻毅監督、リカルド・ロドリゲス監督の下、コーチとして貴重な経験をさせていただきました。そしてアカデミーでは、初めて年間を通して監督業を経験させていただき、多くのことをアカデミーの選手たちからも学ばせてもらいました。

 来シーズンからは浦和で経験した全てを生かし、そして浦和を愛した気持ち同様に FC琉球OKINAWAのために全身全霊をかけて取り組んでいきます。

 カテゴリーは違いますがJ1昇格に向けて闘うFC琉球も気にかけていただけたら嬉しいです」

 一方、FC琉球のサポーターへ次のように決意を示している。

「まずはじめに、このような機会を与えていただいたFC琉球の皆さま本当にありがとうございます。

 FC琉球の監督としてクラブに関われることを大変嬉しく思います。FC琉球のフィロソフィーである『沖縄とともに、強くなる。』-琉球の愛と勇気と誇りを胸に-このフィロソフィーをしっかり体現できるようチャレンジしていきます。

 選手時代は必ず沖縄での自主トレから1年をスタートさせていました。沖縄の街や人がとても好きになり、今でも家族で毎年訪れています。

 大好きな沖縄のために働けることに感謝し、責任と誇りを持ち、沖縄、そしてFC琉球のために全身全霊をかけて取り組んでいきます。

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 まずはJ2昇格を目指し、攻撃的でアグレッシブなサッカーをお見せします。スタジアムでFC琉球のファン・サポーターの皆さまにお会いできることを楽しみにしています」