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原口元気が打ち明けた覚悟。「大丈夫。俺は乗り越えられる」

「いろんな状況を経験してきた。ここを越えたら、また新しいものが見える」

10月25日のDFBカップ2回戦ケルン戦。交代枠を使い切り、出場機会の訪れなかった原口が唇を噛み締める。(C)SAKANOWA

 バイエルン戦ではそのパフォーマンスが評価され、リーグ主催者発表のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。日本代表にはコンスタントに選出され、最終予選ではチーム最多4ゴールを決めた。自分に決して力がないわけではない。一方、目の前ではチームが負けていく。ヘルタのサポーターもフラストレーションを溜めているのが分かる。だからこそ、「もう、もどかしさを通り越している」と、ただ感情を押しとどめるしかなかった。

 とはいえ、当然のように練習では妥協など一切しない。その姿勢はブレない。

「もちろん、いつチャンスが来てもいいように準備している。バイエルン戦の時もそうやって、チャンスを与えてくれた。練習で俺はしっかりやるだけ。良いコンディションはずっと保っている。だから、試合に出してもらえれば必ずやれると思っている」

 そして彼は続けて言った。

「大丈夫。俺はどんなに厳しくても乗り越えられる。その術を知っている。いろんな状況を経験してきたから。ここを越えたら、また新しいものが見えてくる」

 それは強がりではなく、ある意味、達観であり、この道を行った先に必ず光が射すと原口自身は確信していた。

「って、何言ってんだよって、感じだろうけど」

 原口は笑った。

 浦和時代、彼はこんなことを語っていたことがある。

 加入からしばらくは「『俺がこの試合で一番目立ってみせる』と、まず言い聞かせてから試合に臨んでいた」という。それが2012年のミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任後、「試合に出て、チームが勝つ。そのために何ができるか。そう考えることで、プレーの幅も広がっていった」と、意識が変わっていった。そして2014年夏、浦和の下部組織出身者として初めて、欧州主要リーグからのオファーが届き、ヘルタ行きを実現させた。

 もちろん個の特長をチームの勝利のために埋没させては意味がない。それでも勝利のために、時には個を消してやるべき仕事も出てくる。そのバランスのとり方とは、常に葛藤してきた。それでも目指す地点は、チームの勝利のため――そこもブレなくなった。

「苦しくても、振り返ると『楽しかったな』と思えるものだから。いつか、きっと」

 その言葉に、ヘルタ・ベルリンに懸けてきた思いが感じ取れた。ベルリンが好きなんだな、と。ただ、それ以上に原口は飢え、欲していた。プロフェッショナルとして、一人でも多くの応援してくれる人のために、スタジアムのピッチで全力を出し切る日々を。

取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI

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