阿部勇樹がイビチャ・オシム氏の訃報に「サッカーとは何か。人生とは何か。教えていただきました」。千葉で鍛えられ、そして浦和へ
浦和での阿部勇樹。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
「オシムチルドレン」一番の愛弟子。
サッカー日本代表、ジェフユナイテッド市原・千葉を監督として率いたイビチャ・オシム氏が5月1日に亡くなった。享年80歳。6日に誕生日を控えていた。
日本では2003年からジェフユナイテッド市原・千葉(当時・ジェフ市原)を率いて、「走って、考えるサッカー」を徹底。クラブに初の主要タイトルとなるナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)をもたらした。
2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)のあと、日本代表の監督に就任。「8色ビブス」を活用したトレーニングでも話題を集めた。しかし2007年11月、脳梗塞により一時危機的な状態に陥ったが一命をとりとめ、その後回復を遂げたものの代表監督は退任した。
オーストリアに帰国後、監督として現場に復帰することなかった。何度か来日も果たしていた。
千葉時代には21歳でキャプテンに指名され、タイトル獲得にも貢献した阿部勇樹は、SNSのツイッター(アカウントは @daikichi22abe )で、次のように哀悼の意を表している。
「2003年ジェフの監督になり、まだまだこどもだった自分を鍛えてくれた恩師!オシム監督から、サッカーとは何か。人生とは何か。教えていただきました。今の自分があるのは、オシム監督の指導のおかげです!またお会いにいって、サッカーの話をいっぱいしたかった」
「オシム監督から学んだ事は、自分の今後の人生で大事な事であり、それをしっかりと伝えていけるように頑張ります。サッカーが好きで好きでたまらない、オシム監督!感謝しております。日本に来てくれてありがとうございます。必ず報告しに行きます。心よりご冥福をお祈りいたします」
浦和レッズ時代の2018年にはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボのホテルでオシム氏との再会も果たしていた。
そのように「オシムチルドレン」の中でも一番の愛弟子といえる阿部は現在、浦和ユースのコーチとなって、大切な“サッカーの父”と言える存在との別れに際し、言葉を紡ぎながら気持ちを整理している。