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『10番=エース』像を築く。ペレ氏が逝去、日本代表の森保監督「サッカーを国際的なスポーツへと押し上げたのはペレ氏であることは間違いありません」

サンパウロでペレ氏の映像が映し出されるなか、写真を撮るサポーター。(Photo by Mauro Horita/Getty Images)

川淵氏「1993年5月15日のJリーグの開幕式に来てくれて、終わった後に涙を浮かべて僕をハグし、『素晴らしかった』と言ってくれた。それが一番の思い出だ」

 元ブラジル代表として三度のワールドカップ(W杯)制覇を果たしているペレ氏が12月29日に逝去された。82歳だった。この訃報に接し、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長、川淵三郎相談役、サッカー日本代表(SAMURAI BLUE)森保一監督が、それぞれJFAを通じて、次のようにコメントを発表した。

森保一監督
「カタールでのワールドカップの際にブラジル代表チームがペレ氏の快復を願って、チームでメッセージを送っていたことは記憶に新しく、今でもブラジルのみならず多くの人々に愛された存在でした。

 サッカーを国際的なスポーツへと押し上げたのはペレ氏であることは間違いありません。そのプレーで世界中の人々を魅了し、私も間違いなくその一人でした。

 今、サッカーを生業にしている私にできることはサッカーの素晴らしさを伝え、多くの皆さまに夢や希望を与え、サッカーが日々の生活を明るく照らす存在となれるように努めていきます。安らかにお眠りください」

田嶋幸三会長
「1970年ワールドカップでのペレさんのプレーを見て私はサッカーの魅力に引き込まれた。長きにわたり活躍した本当のスーパースターで、日本にも数え切れないほどのサッカーの魅力を届けてくれたことに感謝したい。サッカー界のレジェンドがまたひとり亡くなったことはとても悲しいことだが、世界中の多くの人々がペレさんのプレーを終生目に焼き付けているはずだ。安らかにお眠りください」

川淵三郎相談役
「サッカーでペレといえば、世界中のサッカーファンが、”神様”というほど、誰もが知る名選手。その”神様”が、1993年5月15日のJリーグの開幕式に来てくれて、終わった後に涙を浮かべて僕をハグし、『素晴らしかった』と言ってくれた。それが一番の思い出だ。

 国立で開催したペレの引退試合をはじめ、マラドーナやメッシなど名だたる名プレーヤーの試合をその場で見られたことは、僕の人生の宝物だ。ペレさん、ありがとう。安らかにお眠りください」

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